「ギャラクティカのシーズン4最終回、黎明紀(Daybreak)を見たが、これは心底腰を抜かした」
「なんで?」
「スペース1999が透けて見えたから」
「そんな馬鹿な」
「いいかい。ギャラクティカの結末を大ざっぱに言えば以下のようになる」
- 太古の地球である
- 原始人がいる
- 子供が出てくる
- ヒロインが死ぬ
- 全てを犠牲にする
- 神が実在するぐらい宗教的である
「それがどうした?」
「これらの条件は全てスペース1999にある」
- 太古の地球である (神よ!宇宙に新しい平和を、宇宙洞窟原始人の襲来)
- 原始人がいる (宇宙洞窟原始人の襲来)
- 子供が出てくる (月が二つに分かれる時)
- ヒロインが死ぬ (月が二つに分かれる時)
- 全てを犠牲にする (月が二つに分かれる時)
- 神が実在するぐらい宗教的である (神よ!宇宙に新しい平和を)
「つまりなんだい?」
「月が二つに分かれる時では、こちらの月しか描かれていない。あちらの月から地球に移住する敬意の描写は存在しない。しかし、それは見たかった。今回、ギャラクティカにそれを見てしまった気分になり、驚いた」
「そんな感想を持つのは君だけじゃないか?」
「だろうと思うよ。かなりひねくれた感想だ」
もう1つの感想 §
「敵と味方の境界が不明確で宗教的な話という意味でもスペース1999的だな」
「それが感慨ってこと?」
「いや、そうじゃない。スペース1999はシーズン2になって、スタートレックのスタッフを入れてグダグダになったし、スペース1999第1シーズンと宇宙大作戦が連続で再放送したときに宇宙大作戦が見劣りしたこともある。しかし、今ここでギャラクティカは見劣りしていない。そういう意味で、アメリカのTV特撮ドラマの水準がかつてのスペース1999の水準をクリアしたのだろう。そのことに感慨が深い」
「水準は上がっていると言い切れる?」
「個人的な印象だけでいえばYESだ」
「それは技術の問題?」
「技術というよりも、テーマの捉え方だな。作り手も、それを支持する視聴者層もより成熟したと思う」